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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)9477号 判決

原告 吉沢三津子

右訴訟代理人弁護士 築山重雄

被告 寺静枝

右訴訟代理人弁護士 中村吟造

高橋功

主文

原告を債務者被告を債権者とする昭和三四年六月一八日付金銭消費貸借契約により元金六〇万円弁済期同年一一月三〇日期間中無利息期限後の損害金日歩金八銭八厘なる債務の存在しないことを確認する。

被告は原告に対し別紙目録記載の物件につき東京法務局台東出張所昭和三四年六月一九日受付第一三九〇一号をもつてなされた前項の債権担保のためにする抵当権設定登記の抹消登記手続をなすべし。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

本件建物が原告の所有でこれにつき被告のため原告主張の抵当権設定登記がなされていることは当事者間に争ない。被告はこれにつき、真実被告において昭和三四年六月一八日原告及び原告の夫吉沢光男を連帯債務者として金六〇万円を原告主張の約旨で貸与し、同日原告においてその担保として本件建物に抵当権を設定し、かつ自らその登記をしたものであると主張し、右取引についてはまず原告が自ら直接これに当つたと主張する。しかしこれについて原告が自ら直接したことを認めるべき的確な証拠はなく、証人吉沢光男(第一、二回)、小板橋堅、海老原正夫、寺政次の各証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)及び本件口頭弁論の全趣旨をあわせればこれらの取引については原告の夫吉沢光男において原告の代理人として(真実代理権を有したかどうかは別として)したものであることを認めるに十分である。

よつて右光男の代理権の有無について判断する。本件建物を担保として原告が埼玉信用から被告主張の金員を適法に借り受けていたことは原告の認めるところであり、本件貸借の結果埼玉信用の残債務約九万円が弁済され、その抵当権設定登記の抹消されたことは本件の証拠上明らかであるが、このことから直ちに右光男に代理権があつたものと推認することはできない。乙第九号証、第一〇号証は原告の作成したものでなく光男が他の婦人に書かせたものであること前記証人吉沢光男の証言から明らかであるから採用の限りでなく、前記小板橋、海老原、寺ら各証人の証言によつては右代理権の存することを証するに足りない。後記認定のように光男は過去にいくたびか原告を代理して取引したことはうかがわれるが、これらはその都度授権があつてその処理とともに終了したものというべく、このことから本件についても代理権ありとし得ないことは当然である。夫たることは当然妻の代理人たることを意味しないこともちろんである。その他に右代理権の存することを認めるべき的確な証拠はない。かえつて右証人吉沢光男の証言及び原告本人尋問の結果(いずれも第一、二回)によれば光男は原告にかくれて勝手にその代理人と称して昭和三三年七月一七日訴外小板橋堅から原告及び光男連帯名義で金三〇万円を弁済期同年一〇月一七日の約で借り受け、原告名義で本件建物に抵当権を設定しその登記を了したが、その弁済ができず小板橋からやかましく返済をせまられ、むしろ他から借り替えてでも決済するよう求められたので、これを承諾し、右小板橋を介して海老原正夫に金融のあつせんを求め、同人の仲介で被告から金融を得ることとなつたので、再び原告の知らない間に原告の印や本建建物についての火災保険証書等をもち出し、原告名義の印鑑証明書を入手するとともに原告名義の抵当権設定の承諾書(乙第一〇号証)借地権引継の承諾書(乙第九号証)等を偽造して被告から前記のように本件金員を借り受け、本件建物に抵当権を設定し、その借受金により埼玉信用に残債務九万円、小板橋に元利金三五万円を各弁済してそれらの各抵当権設定登記を抹消の上被告のため本件抵当権設定登記をしたものであることが明らかである。従つて右光男に正当な代理権ありとする被告の主張は失当である。

次に被告の表理代理の主張について検討する。原告の埼玉信用からの借り入れは当事者間に争ないこと前記のとおりで、その取引は光男が原告の代理人としてしたものであることは原告の明らかに争わないところである。その他に被告主張の各種の取引のうちその主張の(1)及び(3)については原告本人尋問の結果(第一、二回)によつてこれを認め得る(しかし(4)は右吉沢証人及び原告本人の各供述によれば光男が自己の責任上もつぱら原告にかくしてとりしきつたものというべく、代理権授与の事例とすることは相当でない)。これら正当に与えられた代理権はいずれもその事務処理の都度消滅したものと解すべきは事の性質上明らかであるが、本件については光男がこれら代理権消滅後、かつそのかつて存した代理権の範囲をこえてしたものとしてその表見代理の成否を考えるものである。前記証人小板橋堅、海老原正夫、寺政次、吉沢光男(第一、二回)の各証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)及び前記認定の事実並びに本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば、小板橋は吉沢光男に貸与した前記三〇万円につき自己の事業資金にするため至急回収しようとし、光男に弁済方を求めたが同人に自ら弁済する資力がないので他から借り替えて決済するようにすすめ、光男もこれを承諾したので知人の海老原に右の事情を告げて登記に必要な書類は全部そろつているからとて金融のあつせん方を頼み、海老原が被告の夫寺政次に同様の事情を告げて取り次ぎ、右政次において被告を一切代理して本件貸借を成立せしめたものであること、被告(代理人政次、以下同じ)は本件建物には埼玉信用及び小板橋がそれぞれ第一順位、第二順位の抵当権を有すること及び右小板橋への弁済ができないために借り替えるものであることを知つており、これら先順位の登記を抹消して自己に第一順位の抵当権を設定することを求め、その条件のもとに貸借を承諾したものであること、そのさい本件建物は光男の妻原告の所有であることを知つていたこと、光男は当時原告の印をもち出して示し、また原告名義の前記借地権譲渡承諾書、抵当権設定承諾書(いずれも偽造)及び本件建物についての火災保険証書を示したが、建物の権利証はついに原告のもとから探し出すことができなかつたため添付書類のうちには加えなかつたこと、海老原は被告のため本件建物の敷地の地主には本件建物について担保権実行の結果借地権の移転を承諾するかどうかについて数度確めてその承諾を得たにかかわらず、同人も被告も光男には事前には会うことなく、たんに書類を見ただけでもつぱら借り替えの成立を期待している小板橋を通じてのみ話をすすめ、光男には登記申請嘱託の当日登記所ではじめて会つただけであり、本件建物の所在につき現場調査をすることもなく、原告自身とは結局一度も面接したこともなく、光男のもたらした原告名義の書類についてもその真偽につきなんの注意も払わず、これを光男にたしかめることもせず、その他なんらかの方法で原告に本件貸借を承知しているかどうかをたしかめて見ようとはしなかつたものであることを認めることができる。右認定に反する的確な証拠はない。本件貸借の直接の動機となつた小板橋からの借り入れは原告の知らないものであり、埼玉信用の債務の弁済は本件貸借の直接の動機ではないこと先に認定したとおりである。右認定の諸事実によつて考えると被告は本件取引にあたつて光男に代理権あるものと思料したことはこれを肯認し得るけれども、右代理権の存否もしくは原告自身が本件取引を承知しているかどうかについてはかつてこれを確かめようとはせず、たんに登記に要する書面の上の形式だけに満足してたやすく本件取引に出たものであつて軽卒といわざるを得ない。被告にしてたんに書面の上や右貸借の成立に利害を有する小板橋にのみ頼ることなく、本件建物につき現場調査をかねて原告に会い、ひとこと確めることはきわめて容易のことであり、取引上この程度のことは当然なすべきものというべきである。そうすれば事の真相はすぐに判明し得たであろうに被告はそのいずれをもしなかつた。光男が原告の夫で、かつて原告の印や書類を持参したとしても、通常の場合ならば容易に他人の手には入らないようなこれらのものも親子や夫婦の間であればこそかえつて本人の意思にかかわらず容易に入手し得るものであることに考え及ぶべきである。しかも本件では権利証だけは添付されず、真実原告が承知の上だとすればこの点もまた多少の不自然を感ずべきはずのところである。してみれば被告は本件につき一挙手一投足の労を惜しみ、取引上尽すべき注意を尽さず、漫然と事を運んだものといわざるを得ない。従つて被告は右光男に代理権ありと信じたとしてもそれはひつきよう過失に出るものであつて、正当の理由あるものということはできない。すなわちこの点の被告の抗弁は理由がない。

しからば原告が被告に対し本件債務を負うものでないことは明らかであり、本件建物になされた右抵当権設定登記は無効である。よつて右債務不存在の確認及び登記の抹消を求める原告の本訴請求は正当として認容すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(判事 浅沼武)

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